海老原喜之助ギャラリー 姫路の『GALLERY えびはら』
 海老原喜之助 オフィシャルギャラリー
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■海老原喜之助 年譜■

明治37年(1904) 9月13日、鹿児島市に生まれる。

大正11年(1922) 18歳 鹿児島県立志布志中学校卒業。上京し川端学校、アテネ・フランセに学ぶ。

大正12年(1923) 19歳 7月、渡仏。藤田嗣治に師事する。第10回二科展に初入選。(以後第11回、第13回、第15回展にパリから出品)

大正13年(1924)) 20歳 サロン・ドートンヌに初入選。


昭和2年(1927)   23歳 サロン・ド・レスカリエ第10回展に招待され「姉妹ねむる」(東京国立近代美術館蔵)「窓(カンヌ)」(北九州市立美術館蔵)など14点を出品。画商アンリ・ピエール・ロシェと契約する。

昭和3年(1928)   24歳 ロシェ企画のニューヨーク第1回個展。

昭和4年(1929)   25歳 ニューヨーク第2回個展。このころから雪景連作が始まる。その独自なマチエールが“エビハラ・ブルー”と称賛されていく。

昭和10年(1935) 31歳 独立美術協会会員に迎えられ、第5回独立展に「曲馬」(熊本県立美術館蔵)を発表。以後、独立展に出品を続ける。

昭和15年(1940) 36歳 日本大学専門部芸術家美術家講師となり、1943年まで続ける。

昭和20年(1945) 41歳 熊本県湯之児で終戦を迎える。秋、人吉市に移る。

昭和25年(1950) 46歳 11月第1回南日本文化賞を受賞。熊本市に転居。

昭和26年(1951) 47歳 第3回読売アンデパンダン展に「スタート」「殉教者」(サン・セバスチャン)」(東京国立近代美術館蔵)を出品。海老原美術研究所を熊本市に創立する。

昭和27年(1952) 48歳 第3回秀作美術展(朝日新聞社主催)に招待出品「殉教者(サン・セバスチャン)」3月神奈川県立近代美術館で「福沢一郎・海老原喜之助展」が開催される。第1回国際美術展(毎日新聞社主催)に「ボンサマルタン」を出品。

昭和28年(1953) 49歳 第4回秀作美術展に招待作品「ボンサマルタン」。

昭和29年(1954) 50歳 第5回秀作美術展に招待作品「大華山」(国立公園絵画展出品作)第1回現代美術展(毎日新聞社主催)に「かぜ」(静岡県立美術館蔵)「本を焼く人」(鹿児島県歴史資料センター・黎明館蔵)を出品。9月熊本市で「海老原喜之助自選回個展」(熊本日日新聞社主催)が開催される。この後引き続き福岡市で開催。

昭和30年(1955) 51歳 6回秀作美術展に招待出品「船を造る人」(22回独立展出品作・北九州市立美術)2月、「19人の作家━戦後の絵画・彫刻」展(東京国立近代美術館主催)に「スタート」「殉教者(サン・セバスチャン)など5点を出品。3月、熊本市・小峯墓地の忠霊塔を飾る「殉教者(サン・セバスチャン)」のブロンズ・レリーフが完成。第3回日本国際美術展に「靴屋」(北九州市立美術館蔵)を出品。

昭和31年(1956) 52歳 7回秀作美術展に招待出品「靴屋」。第2回現代美術展に「衣を与う」を出品。第1回グッケンハイム国際美術賞展に「船を作る人」を出品

昭和32年(1957) 53歳 第4回日本国際美術展に「燃える」(新潟県立近代美術館蔵)を出品、国立近代美術館賞を受賞。

昭和33年(1958) 54歳 第9回秀作美術展に「燃える」。第3回現代日本美術展に「大道の物売り」を出品。

昭和34年(1959) 53歳 第10回秀作美術展に招待出品「大道の物売り」1月戦後の秀作美術展(東京国立近代美術館、朝日新聞社主催)に「船を造る人」を出品。第5回日本国際美術展に「蝶」を出品、最優秀賞を受賞。

昭和35年(1960) 56歳 第11回秀作美術展に招待出品「蝶」により第1回毎日芸術賞を受賞。11月、熊本市の東宝全館の外壁にカラータイルによるモザイク壁画「蝶」が完成(現在、熊本学園大学60周年記念館に移設)。同月、神奈川県逗子市に転居。

昭和36年(1961) 57歳 鹿児島市立美術館で「海老原喜之助小品展」が開催される。第6回日本国際美術展に「群馬出動」(熊本県立美術館蔵)を出品。

昭和37年(1962) 58歳  第13回秀作美術展に招待出品「群馬出動」第5回現代日本美術展に「火を運ぶ」(鹿児島県歴史資料センター・黎明館蔵)を出品。国際形象展の創設に同人として参加。

昭和38年(1963) 59歳 第7回日本国際美術展に「走馬燈」(福岡市美術館蔵)を出品。7月、「海老原喜之助自選展」(毎日新聞社主催)が開催される。同展は引き続き大阪、北九州、熊本で開催。第2回国際形象展に「ある日」(北九州美術館蔵)を出品。

昭和39年(1964) 60歳 第15回記念秀作美術展に招待出品「雨の日」(第31回独立展出品作・東京国立近代美術館蔵)。3月、「海老原喜之助自選展」並びに「雨の日」の業績により芸術選奨文部大臣賞を受賞。

昭和40年(1965) 61歳 第8回日本国際美術展に「花ぬす人」(福岡市美術館蔵)を出品。10月、北九州市小倉の毎日新聞西部本社1階ロビーにモザイク壁画「太陽神」が完成。11月、東京渋谷の乗泉寺本堂にガラスモザイク壁画「合掌」を完成。

昭和41年(1966) 62歳 4月〜10月、渡仏。

昭和42年(1967) 63歳 10月渡仏。

昭和43年(1968) 64歳 1月29日、藤田嗣治が死去。未亡人に代わり葬儀を取り仕切る。ヨーロッパのロマネスク美術を訪ね歩く。第7回国際形象展に「聖像」を出品。

昭和45年(1970) 66歳 9月19日、帰国を直前にしパリで客死。日本政府から勲三等旭日中綬章が贈られる。友人でもあった文部大臣坂田道太が伝達する。現在、鹿児島市坂元墓地に眠っている。法名 豊泉院釈錦岳洪喜画道信士位。


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